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大阪高等裁判所 平成7年(く)16号 決定

少年 T・O(昭50.4.22生)

主文

原決定を取り消す。

本件を神戸家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は、付添人○○作成の抗告申立書及び抗告理由補充書〈各省略〉各記載のとおりであり、その論旨は、〈1〉少年は本件非行事実を犯していないのであるから、少年がこれを犯したものと認めて少年を保護観察に付した原決定は事実を誤認したものであり、〈2〉原裁判所の審理手続は、少年や証人の自由な発言を封じて威圧的になされているので、少年法22条1項をはじめとする同法の趣旨を逸脱しており、また、平成6年6月初旬に実質審理がほぼ終了したのに審判が出たのは同年12月21日であって、長期間少年に不安定な地位を強いたのであるから、少年の健全育成という少年法の趣旨目的に反するばかりか、迅速な裁判を受ける権利をも害した点において、決定に影響を及ぼす法令の違反があった、というのである。

そこでまず、事実誤認の主張について、本件少年保護事件記録を調査、検討する。

1  本件非行事実につき、原決定は、ほぼ送致事実のとおり、少年が平成5年9月4日午後9時ころから同日午後9時45分ころまでの間、その所属する暴走族グループ○○その他のグループの構成員多数と共謀の上、自動二輪車(カワサキFX400R黒色)を運転して、姫路市飾磨区○○××番地所在の○○株式会社△△製作所駐車場(以下「○△」という。)前の市道からJR姫路駅前まで進行した際、同市○○町××番地先の通称白銀交差点に進入するに当たり、同交差点を通過しようとする車両の進路を仲間の自動二輪車等で塞いだ上、一団となって道路一杯に広がり、対面の赤色灯火信号を無視して進行した後、同交差点からJR姫路駅前交差点までの道路及びその付近で仲間とともに停止、空ぶかし、周回、旋回等の暴走行為をし、折から同所を通行しようとしたAら運転の自動車3台をその場に停止させて通行を不能にさせ、もって共同して著しく道路における交通の危険を生じさせるとともに著しく他人に迷惑を及ぼす行為をしたことを認めたが、少年は、原審審判廷において、自分は本件当日午後6時すぎころ自分の普通乗用自動車(クラウン)でパチンコ店「△△」の駐車場(以下「△△」という。)に行き、そこで友人のBから借り受けた自動二輪車を運転して○△に行き、そこから自分の普通乗用自動車を運転して仲間の自動二輪車に続いて○△を出発し、姫路駅前に向かったが、途中道路が混んできたので、同定していたC運転の普通乗用自動車(サーフ)、D運転の普通乗用自動車(シーマ)とともに、先行する仲間の自動二輪車の進路とは別の近道を通って同駅前に行き、その付近で車から降りて仲間の暴走行為を見ていただけであると供述して、非行事実を争っている。

2  原決定が認定した右暴走行為(以下「本件暴走行為」という)は、参加者の特定を除き、関係証拠によって明らかに認めることができる。

3  少年の各警察官調書(いずれも平成6年2月7日付)は非行事実をそのとおり自白しており、関係者の各警察官及び検察官調書中、B(平成5年11月23日付)、E(同年12月7日付)、F(同月9日付)、G(平成6年1月10日付)、H(同年2月12日付)、I(同月24日付)、J(同月28日付)、D(同月28日付)、C(同年3月1日付)、K(同日付)、L(同日付)、M子(同月13日付)の各警察官調書謄本、H(同年2月23日付)、I(同月24日付)、C(同月25日付、同年3月2日付)、M子(同年3月2日付)の各検察官調書謄本には、少年が本件暴走に参加した状況の目撃供述がなされている。

しかし、これら供述調書中の各目撃供述は、少年の少女友達であるM子の警察官調書(単車を運転していた少年が、同女の運転する普通乗用自動車の近くで同女に手を振ったという程度の供述記載がある)を除き、いずれも他の暴走参加者とともに少年の名前が挙げられているのみで、暴走状態につき個性的な具体的描写はないこと、これら捜査段階の供述調書は事件の約80日後ないし約6か月後の取調べの際に作成されているが、B調書では、少年は、暴走時、特攻服を着て、「○○さん」のホンダCBX400CC青白色を運転し、白銀交差点の中で旋回暴走していたというのであるが、F調書では、少年は、暴走時、私服でH所有のカワサキFX400CC黒色を運転し、後部座席にNを乗せていたというのであり、さらにG調書及びその後の作成日付の各調書には、少年は、暴走時、カワサキFX400CC黒色を運転し、Hを後部座席に乗せて暴走していたと述べていて、少年の様子について、比較的記憶が新しい筈の、早期の取調時の供述の方が、かえって原決定の認定事実と異なり、しかも相互に食い違っているという、不自然な現象が見られることなどに照らすと、右各目撃供述記載の信用性については、なお吟味を要するし、少年の自白調書中、暴走の一部始終を述べた「僕の身上関係については」で始まる司法巡査O作成の供述調書の内容は、大部分が司法警察員P作成の右G調書と殆ど同文で、ワープロのフロッピーを活用した形跡が歴然としており(なかには「この光景を見て僕は『さすが気合の入った族やな』と思うと、僕も負けてたまるか、と体中が熱くなりさらに気合を入れ、空吹かしを2、3回して通過しました。」という純粋に個人的な体験供述が同文で双方にある。)、相違部分は、G調書第9項には、白銀交差点に差しかかったときの状況について、「白銀交差点の手前付近の南行き車線上は、乗用車やタクシーなどの通行車両が、すでに仲間の『族』車両によって道路前方を妨害されて、その場に止まったり道路端に寄ったりの立ち往生をしておりました。」とあるのに対し、右少年調書第8項では「僕達集団が白銀交差点に来た時、十二所前線の西行き一方通行はタクシー、大型トラックそれに一般の車が信号にしたがって通行しており、僕達集団は空吹かしを強烈にしながら交差点に突っ込み僕の運転する自動二輪車のケツ乗りのH、Gの運転する自動二輪車のケツ乗りの彼女はタコ踊りをして一般ドライバーを挑発しながら道路の真ん中つまり二車線上を通って白銀交差点の略図〈1〉地点に来ました。」とあって、同交差点に差しかかった際に見た同所の状況が異なっているが、G調書によると、少年とG、Qの3人は相前後して自動二輪車を運転しており、少年がGより前方を走っていたと述べられているので、そうだとすると、それぞれが同交差点に差しかかった際の状況に時間的な差があることは当然としても、僅かな時間差で同交差点に差しかかった両名がこれほど異なった状況を目撃する筈がなく、時間差を意識しすぎた創作が行われた疑いがあり、右自白調書はたやすく信用することができない。

4  原審では、前記警察官及び検察官に対する各供述調書の供述者中7名を証人として取り調べているので、その証言内容について検討を進めると、〈1〉証人Hは、少年が自動二輪車を運転して○△から姫路駅前まで行ったのを見たこと、M子が少年所有のクラウンを運転して○△から姫路駅前まで行ったのを見たこと、自分の所有する自動二輪車の後部座席に乗って走ったこと、D運転の普通乗用自動車(シーマ)に乗って、明姫幹線から「△△」まで戻り、少年から翌日自動二輪車を返してもらったこと、赤灯台から明姫幹線を走り自分の家までDに送ってもらったことなどの記憶はあるが、それが平成5年9月4日かどうか覚えていないし、同日△△に自分所有の自動二輪車(カワサキ)に乗っていったが、その自動二輪車を少年に貸した記憶もない旨、同年の夏休みの前後で、本件のような大きな暴走はそうなかったと思うが、そのころ○△から姫路駅前まで20台位で暴走したことは何度かあるし、自分は○○工業高校定時制に通学しているが、本件暴走行為の当日と同様、午後7時ころ援業が終わってからの暴走も何度かあるし、自分達の暴走コースは△△-○△-姫路駅前-○△なので、本件暴走行為と他の日の暴走とがごちゃまぜになって詳しくわからない旨供述しており、また、警察、検察庁で調べられたときに嘘を言った記憶はないと供述しながら、「警察、検察庁では、話は大体できてました。僕がT・O君の単車のケツ乗りについての調書は大体できていて、絶対違うとは言えませんでした。取調べの警察官の前では、実際に暴走していたので、違うとは言えませんでした。警察官が、ほかの連中の話の中で、僕がT・O君のケツ乗りしてたと言っていると言うので、そうかなと思って警察官に言いました。」と供述しており、結局、同証人は、本件暴走行為に参加はしているものの、その日の暴走と他の日の暴走の記憶が混同していて少年の暴走参加について確かな記憶を述べることができなかったのであって、同証人の少年に関する断片的な記憶をつなぎ合わせて、それが少年の本件暴走行為における行動であったかのように認定することは到底できない。〈2〉証人Cは、本件暴走行為ははっきり覚えており、姫路駅前に行く途中で、少年がHの自動二輪車を運転し、その後部座席にHが乗り、M子が少年所有の白色のクラウンを運転しているのを見たと供述したものの、その後の証言では、響察では、少年が自動二輪車を運転して姫路駅前をグルグル回っているのを見たように話したが、本当ははっきり覚えていないと述べ、さらに「Hがケツ乗りの記憶はありません。」「9月4日のT・O君の暴走は覚えていません。」「M子がクラウンを運転してたのもはっきり覚えてなくて、警察に言われて言いました。」「いつかわかりませんが、T・O君が○△から駅前まで単車を運転するのは見ました。」と一転し、最後に、裁判官の質問に対し、「9月4日に……T・O君が単車を運転するのは見ました。」とさらに逆転している。なお、同証人は、少年と同じく暴走族「○○」のメンバーで、少年とは何回か一緒に暴走したことがあり、そのコースは△△-○△-姫路駅前で,ほかの暴走族と合同で暴走したことは5、6回、大規模な暴走は3回位あったと述べている。また、少年の原審における前記弁解中、本件暴走行為当日クラウンを運転して○△を出発した後途中で近道を通って姫路駅前に行ったという点に関しては、「暴走で○△から駅前に行くのに近道したことは2、3回あります。単車が先行しますが、集合が駅前と分かっているので先回りしたことがあります。9月4日もその可能性があります。」と少年の弁解に沿う供述をしており、警察、検察庁での取調べについて、警察官調書添付の○△集合場所の図面、四輪車乗車区分表、二輪車乗車区分表は自分で書いたけれども、はっきり見てないので、他の者の証言に基づいている旨、本件で警察に調べられたのは5、6回で、警察、検察庁で無理な取調べはなかったけれども、平成6年3月1日の警察官調書は嘘は言っていないが、供述はあやふやである旨、本件暴走行為当日のことについて、警察では覚えていないことが多いと言った旨供述しているのであって、以上のような、重要な箇所で動揺変転し、かつ、記憶の曖昧な証言をもって、少年が本件暴走行為に参加したことの証拠とすることができないことはいうまでもない。〈3〉証人Lは、本件暴走行為当時M子運転の普通乗用自動車(クラウン)助手席に乗って○△から姫路駅前まで行ったが、白銀交差点から姫路駅前にかけての暴走現場で少年を見ていないと述べているほか、このころの夏は、暴走によく参加しており、○○グループだけの暴走より、他の暴走族と自動二輪車、普通乗用自動車合わせて2、30人で暴走することが多かったこと、警察での供述調書は、自分が行ったときは、殆ど出来ていて、自分がクラウン助手席に座っている図面も、すでに出来あがっていたものを見て、自分で新しく書いたし、取調官から「M子の横におったやろ、誰々も言っている」と言われ、そうやろと思って署名したこと、供述調書は警察と自分の記憶が半々くらいであることなどを述べているのであって、本件暴走行為の現場で少年を見ていないばかりか、同所に行った際、M子運転のクラウンに同乗していたことも記憶が確かではないことが窺われるのである。〈4〉証人Bは、少年に自動二輪車を貸したことはないと供述しているものの、本件暴走行為当時、少年を見掛けた場所は○△だけで、○△から駅前に行く途中も駅前の暴走現場でも少年を見ておらず、警察では、少年が自動二輪車で暴走していたと言ったが、それは10月の暴走と勘違いしていたと述べている。〈5〉証人Dは、暴走に参加したのは本件暴走行為のときが初めてで、このとき父親所有の普通乗用自動車(シーマ)に乗って○△から姫路駅前まで行ったが、少年所有のクラウンを誰が運転していたかは見ていないし、少年は白銀交差点を歩いていて、Gと話していた旨少年の弁解に沿う証言をしており、さらに、同証人の警察官調書添付の「共同危険行為等禁止違反現場略図」に少年の位置を記入してあるのは、そこに少年がいたことにしようと警察官に言われたからであり、○△を出発した後、少年が自動二輪車を運転して暴走しているところを見ていないので、警察では、少年が自動二輪車を運転するのは見ていないと大分ねばったが、警察官からおったことにしようと言われ、警察官調書添付の「四輪車乗車区分表」も自分が思っているのとは違うと言ったけれども、警察は聞き入れてくれなかったと供述している。〈6〉証人Iは、平成5年の夏は、5、6回暴走を見に行っており、それも△△-○△-姫路駅前と、似たようなコースでの暴走ということもあって、本件暴走行為について殆ど記憶がないが、警察の取調べでは、よく覚えてないと言っても、「こうやろ、こうやろ」と言われ、本当に知らないと言うと「嘘をつくな、知ってるくせに逃げるのか。一日ですまさへん。」と言われ、これは留置場に入れられるのかと思ったこと、本件暴走行為のとき誰がどうしていたかは、警察官に全部教えてもらい、平成6年2月24日付供述調書添付の二輪車、四輪車乗車区分表は、警察官の横で、あてずっぽうに名前を言い、当たっているときはそのまま記入し、違うときは、警察官が「違う。」と言ったこと、調書の供述内容のなかに、自分の覚えている事実は殆どないこと、検察庁の取調べでは、警察官調書の内容をそのまま認めたことなどを供述している。〈7〉証人M子は、本件暴走行為当日は午後7時30分ころ勤務を終え、その後少年に会うため△△に行ったが、少年から帰れと言われてそのまま帰宅したこと、姫路駅前の暴走には何度も行っているので、平成6年3月1日逮捕されて取調べられたときは、どの暴走行為のことかはっきりせず、取調べの警察官から、他の者と話が違うと10日もここにいることになると言われたので、警察官から言われたとおりに他の者の供述に合わせた調書を作ってもらったこと、その後自分で当時の行動を調べた結果、この日は△△までしか行ってないことが判明したことなどを供述している。

5  これらの証言に共通していることは、記憶が極めて曖昧な点であるが、前記各供述調書及び各証言並びに少年の原審審判廷における供述によれば、Dを除き、供述者は、本件暴走行為の前後に、顔触れ、態様、場所とも同じような暴走に何度も参加しあるいは見物しているのであり、かつ、捜査官から取調べられた時期が約80日から6か月後のことであるから、記憶の混同は当然ありうること(例えば、Cの平成6年2月25日付検察官調書は、「私はこれまで○△から駅前まで何回か参加したことはありましたが、パチンコ屋の△△から○△に集合し、その後姫路駅前までRのハイラックスを一人で運転し続けたのはこの時が初めてですので、他の日と十分に区別して覚えております。」と供述しながら、次の同年3月2日付検察官調書では、「S君を助手席に乗せていたというのは、別の日に△△から○△まで乗せたことがあったので勘違いがあった。」と証正している。)、本件暴走行為が初体験であったから比較的記憶が確かと思われるDは、そのとき少年が白銀交差点を歩いていたところを見たと証言していること、しかも、以上の証言によれば、捜査段階においては供述調書作成時に取調官の強引な誘導がかなりあったことが窺われることに加え、前記3において指摘した各供述調書の問題点などを併せ考えると、これら少年及び関係者の各供述調書中の自白部分及び少年が本件暴走行為に参加していた状況を目撃した旨の供述部分は信用し難く、結局本件非行事実は、これを認めるに足りる証拠がないといわなければならない。原決定には重大な事実の誤認があり、論旨は理由がある。

よって、その余の論旨(法令違反)についての判断を省略し、少年法33条2項、少年審判規則50条により、原決定を取り消した上、本件を神戸家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 青木暢茂 裁判官 梶田英雄 政清光博)

〔参考1〕 差戻し審決定(神戸家 平7(少)10204号 平7.3.27決定)〈省略〉

〔参考2〕 原審決定(神戸家姫路支 平6(少)10197号 平6.12.21決定)〈省略〉

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